窯主プロフィール~20代、30代の頃~
窯主プロフィール、今回は20代30代の頃の自伝的内容です。
20代の頃
やきものよりも漆器や鋳物が好きで、学生のころは北陸や東北地方の産地をよく旅行していました。そんな関係で美大を卒業してからは都内の金属鋳物の町工場に就職し、デザイン、制作、現場取り付けと、職人さんたちといっしょに仕事をしていました。
その当時、銀座の待ち合わせ場所にしようと鉄とアルミの鋳物でモニュメントを作りました。この仕事はサインデザイン賞を受賞し、これは今でも銀座に残っています。
デザイナーと職人との協同作業という福珠窯の仕事の進め方はこの頃から芽生えていたのかもしれません。小さな会社でしたが、ものづくりの環境がとても楽しくてこのまま金属の仕事を続けていくのかなあと思っていたところ、父親が創業していた福珠窯を継ぐことになり、25歳のときに有田に帰って来ました。
30代の頃
もともと自然の素材とか日本の伝統的なものは好きだったのですが、その当時(昭和50年代)の有田焼は伝統のうわべだけ利用して商売しているような感じがして(当時の私の主観です)、最初は好きになれませんでした。
ほんとうに有田が好きになったのは帰ってから5~6年たってからのことです。古伊万里様式というテーマで制作する機会があり、調べていくうちに歴史に惹かれ、モノに惹かれてどんどんのめりこんでいきました。
「自分の眼で本物をちゃんと見ていけばいいモノがたくさんある」
「なぜ昔の有田焼には魅力があって今のものには魅力を感じないんだろう」
その理由を突き詰めていくと、本物の素材とごまかしの無い職人魂のようなものでした。
それからは土、釉薬、絵の具、焼成というやきものができるまでの素材や技術・技法といったものをひとつひとつ吟味して探っていった時代でした。
歴史と伝統を再認識しながら、同時にインテリアやライフスタイルの中でのやきものという視点でものづくりを始めたのもこの頃からです。
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